業務改革リーダーの心得

オフィスの現場で業務改革に取り組むリーダー達へ、壁を乗り越えてゆくためのノウハウや心得をお伝えします。

業務改革と人工知能

業務改革は使い古された言葉である。

しかし、多くの組織にとっていまだに差し迫ったテーマであり、今後もあと数百年はそうあり続けるだろう。なぜかといえば、自らが関わる組織あるいは世の中が変化し続ける限り、常にそれに対応して仕事のやり方を変える必要に迫られるからである。

変化の一つは、組織の変化がもたらす仕事の種類の変化である。組織が成長すれば、仕事は複雑化し、種類が増える。そうなれば、今までの業務では対応できなくなり、改革を迫られる。これが一つ目の変化である。

もう一つは技術の変化がもたらす仕事のやり方の変化である。組織の業務は過去にいくつもの技術革新の波にさらされてきた。コンピュータによる事務処理の高速化、インターネットよる情報交換の効率化、検索エンジンによる情報収集の高度化。他にも数え上げればきりがないし、今もなお、その変化は猛烈な勢いで進んでいる。半世紀前、我々は個人パソコンもインターネットも検索エンジンも使わずに仕事をしていた。今では到底想像できない世界である。そしていま、さらに大きな変化が起きようとしている。

人の知能を代替し、いまやそれを凌駕しつつある存在、人工知能の再登場である。これまでにも何度も人工知能のブームはあったが、今度の波はおそらくこれまでとは違ったものになるという。車が人間によるプログラミングなしで運転を学び、他の車や障害物を避けて動けるようになる。コンピュータが人間よりも高い精度で顔を識別できる。ここまでは既に実現している世界であるが、これはまだ序の口にすらなっていないだろう。今、世界の叡智の中の叡智、最高峰の研究所、大企業、政府機関、そしてサイエンティストが、この領域に心血を注ぎ、主導権を握ろうと凌ぎを削っている。

人工知能が人間の知能を代替し、それ以上の存在になったとき、人は知能以外の何を社会に提供できるのだろうか。短期的には業務は効率化され、生産性は大きく向上するだろう。しかし、人の手がかかる余地は確実に狭まっていく。業務改革すら、コンピュータがサポートするサービスが登場している。これから人には、どのような役割が残されるのだろうか。

変化を拒絶することはできない。拒絶すれば、組織の確実な衰退が待っている。行政機関ですら今までの仕事のスタイルにしがみ続けることはできない。そうした変化を受け止め、自らの価値を見出していくしかない。

しかし、それでも業務改革は人の仕事であり続けるだろう。業務改革は知能だけではなし得ないからである。人を説得するのは知能ではない。人を突き動かすのは知能ではない。理念を掲げるのも、ビジョンを描くのも、改革をファシリテートするのも知能だけでは成し得ない。知能にできることはそうした人間としての営みをサポートするところまでである。だからこそ、今後もどれだけ人工知能が、技術が進歩しても、我々は業務改革に取り組み続けるだろう。

その上で、我々は、人工知能が業務にどのような変化をもたらすかについて、関心を怠ってはならない。我々が直面しようとしているのは、紛れもなく本質的な変化なのだ。

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必要に迫られていない業務改革こそが重要

役所でも業務改革は行われている

役所で業務改革が進まないのは、民間企業と違って競争の圧力がないからだ、との指摘がある。組織が潰れる危機感がないから、業務を見直す必要を感じない、というわけである。

確かに、どこかの中央官庁で、トップが音頭をとって省内の業務を刷新した、といった話は聞いたことがない。しかし、役所においても、個々の現場レベルでは、ドラスティックに自らの業務を変えることは、現実にある。例えば、急激な処理件数の増加に旧来の体制では追いつかなくなり、必要に迫られて業務を大きく見直す、といったケースである。ここまで書くと、ああ、ではつまり、必要があるからこそ業務改革は行われるのだな、と思ってしまいそうだが、そう話は簡単ではない。

民間企業だから業務改革をするとは限らない

民間企業でも、潰れる会社は潰れる。毎年、1万もの会社が倒産しているのだ。事業環境が悪化しているにも関わらず、旧態依然とした体制に胡座をかいているうちに、抜き差しならない状況に陥ってしまう、そんな茹でガエルのような会社、あるいは事業部門は、そこかしこに存在する。そうした部門がない企業を探す方が難しいくらいだ。日々競争に晒されている民間企業にとって、絶え間ない業務改革は差し迫った必要である。しかし、必要を感じているからといって、行動できるわけではないのだ。

役所は倒産こそないものの、社会的な監視の目も厳しく、多くの組織が慢性的な人手不足状態にあるので、これもやはり極端な非効率には是正の圧力がかかる。また、自治体であれば、夕張市のように実質破産することもあり得る。

つまり、役所でも、民間企業でも、業務改革の必要を感じている組織・部門は一部に過ぎず、この点、両者の違いは、程度の問題でしかないのだ。

必要を予見できるリーダー

さて、世の中には、こうした必要に迫られておらず、まだ多くの構成員が危機意識を持っていない中で、いち早く危機を予見し、先手を打って自らの業務を見直すリーダーもいる。こうしたリーダーが行動を起こす動機は、目の前の必要ではない。彼らを突き動かすのは将来の必要である。彼らには将来組織が、事業がどうなっていくのかが見えている。そして、待ち受ける不幸なシナリオを避けるために、あるいは、逃すかもしれないチャンスを掴むために、行動するのである。

つまり、業務改革のリーダーには二種類いるということだ。必要に迫られて行動するリーダーと、必要を予見して行動するリーダーである。どちらのタイプとも、民間企業にも、役所にも、一定の割合で存在する。しかし、役所では、組織の中での業務改革の優先順位が低く、ポストへの思惑などから足を引っ張られることが多いため、後者のタイプの人間が活躍できる機会が非常に少ないのだ。だから常に役所は、時代より遅れ、社会経済の発展の足を引っ張るように見えるのである。

ある組織が時代の先を進めるか、時代に取り残されるかは、必要を予見できるリーダーがどれだけ活躍の機会を得られるか次第なのである。 

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言葉に伝播力を持たせるには

 言葉に仕事をさせる

成し遂げようとする改革が大きなものになればなるほど、より多くの関係者を巻き込み、動かしていくことが必要になる。すべての関係者を説得しようとすれば、どうしても時間がかかってくる。このとき、適切なメッセージが自らの活動とともに発信できていると、ある段階から言葉そのものが伝播力を持ち、自分自身に代わって仕事をし始める、すなわち関係者に影響を与えることがある。

こうした“言葉の伝播力”を使いこなせるかどうかで、成し遂げられる改革の規模も左右される。必要なのは、改革の核となるコンセプトを体現しており、ひと言で内容を想像できる、そして一回聞いただけで記憶に残るようなメッセージである。

行動と成果の裏付けによって、言葉は力を得る

奇を衒った言葉である必要はない。必ずしもリズム感や響きがよい言葉でなくてもよい。例えば、◯◯の標準化、△△の共通化、◇◇のグローバル対応、◻︎◻︎期間の短縮化…といったありきたりのキーワードでも構わない。重要なのは、それが事実としての行動と成果に裏付けられていることだ。

言い出した当初は、誰も見向きもしないかもしれない。あるいは、趣旨には反対しないまでも、様子見を決め込まれてしまうかもしれない。しかし、そうした冷たい視線の中でもコツコツと努力を積み重ね、実績が生まれてくると、やがて人の見る目が変わってくる。訴え続けてきたメッセージは、いつしか力を持ち始め、好感をもって人口に膾炙されるようになるのである。

伝播力を得るとどうなるか

ここまでくると、訴え続けてきたメッセージに共感した誰かが、頼まれもしないのに、キーワードに基づく取り組み(例えば“標準化”)を、行ったりするようになる。さらに、必ずしも取り組みに賛同しなかった人々の抵抗感をも、知らず知らずのうちに削いでいく。言葉の持つ伝播力が、彼らを包み込む空気を変え、感情や判断に影響を及ぼしていくのである。

もちろん、ただ同じ言葉を繰り返せばよいわけではない。実態としての努力を何ら行わないまま、同じメッセージばかり繰り返していれば、上記とはまったく逆の、マイナスの影響を及ぼしてしまう。

耳にタコができるまで

練りこんだメッセージを、耳にタコができるほど、繰り返し訴え続けること。そしてそのメッセージに実体を与えるような実績を積み重ねることこの2つができれば、実現できないことは世の中にほとんどないと言ってよい。何かを続けることほど難しいことはない。しかし、続けることほど、何かを動かすチカラを与えてくれるものもないのである。 

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幸運を掴む方法

業務改革の成否は運に大きく左右される。例えば、

・たまたま取り組みの追い風となるような全社的な見直し方針が打ち出された
・たまたま調整先の部門の担当者が融通の効く人に交代した
・折良く、有能で経験豊富な部下が配属された
といった幸運があれば、業務改革は一気に進展する。逆に、これと反対のことが起きれば改革は一気に失速する。

 

取り組みの成否が、業務改革リーダーの力量や努力とは関係ない要因に左右されてしまうのは、辛いところではある。しかし、こうした運/不運の波の中で、確実に幸運を掴む方法がひとつだけある。それは諦めずに待つこと、である。

 

外部状況は絶えず変化してゆく。ある一時点のみを断面で見れば、運/不運というものは確実にある。しかし、5年程度のスパンで見れば、不運が絶えることなく続くことはまずあり得ない。同じ担当者が同じポストに永久に居座り続けることはないし、経営方針や事業環境が永久に継続することもない。

 

必要なのは、その時点で直面している状況が、正面突破すべきものなのか、いったん引いて立て直すべきものなのか、を冷静に見極めること。そして、いったん引いた場合でも諦めず、チャンスを伺いながら、待つことである。これができる人は、確実に幸運を掴むことができる。

 

これらは当たり前のことに見えるが、実に難しい。「人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない」(カエサル)。そして、しばしば状況判断を誤り、無理すべきでないところで無理をして痛手を負ったり、あと少し待てば状況は好転したのに、放棄したりしてしまう。これは、人間の限界であり、性でもあるといってもよい。

 

しかし、だからこそ、なるべく冷静に状況を見極めようと努力すること。そして、いったん待つと決めたら何年でも待ち続けると、腹を決めることである。これらが実践できれば、状況の変化に感情的に右往左往するよりも、幸運を掴む可能性は確実に高くなる。

 

歴史上、最後に幸運を掴んだ者の多くは、状況の変化を待つことができる人だった。

それは業務改革においても、同じである。

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鉄壁の社内ルールを作り変えさせる方法

どの組織にも、日常業務を円滑に運営するためには、ルールが必要である。しかし、業務環境が変化し、現実にそぐわなくなると、そのメリットは低下し、かえってマイナスの影響すら及ぼす場合がある。そこで、ルールの見直しが必要になるが、いったん構築された仕組みを作り直すことは、常に困難を伴う。

ルールの「一貫性維持作用」

どのようなルールも、多かれ少なかれ、組織内外の他の仕組みとの関わりを持っているが、特に、大企業や官公庁のように組織の規模が大きくなってくると、変更に伴う影響を見極めるだけで至難の業となる。ある程度、その見極めができたとしても、次に、新業務を運用させるための緻密で地道な業務設計作業が待っている。さらにルールには、それ自体が一貫性を維持しようとする「一貫性維持作用」とも呼ぶべき力が働いている。これがルールの管理者をして、改革の取り組みに対し、反射的に抵抗させる方向に働き、多大な調整作業を発生せしめる。

ルール見直しに伴う①影響の見極め、②新業務の設計、③「一貫性維持作用」の克服のうち、①と②については、近道はないものの、一つ一つ潰していけば、いつかは作業は完了する。工夫次第では、その作業効率を高めることもできる。しかし、③の「一貫性維持作用」のハードルは、力業だけでは乗り越えられない。タイミングとアプローチが的を得ていなければ、どんなに労力をかけても変えることはできない。

「一貫性」を崩す方法

では、どのようなアプローチを取るべきなのか。最も効果的なのは、「一貫性維持作用」そのものをターゲットにして、意図的、戦略的に、「一貫性」の一部を崩し、作り変えていくことである。具体的には、以下の手順を踏んでいく。

  1. 既存のルールの拠り所となっている価値観やポリシーに対し、より上位の理念や経営方針といった新しいパラダイムをぶつけ、判断基準を相対化してしまう。(例:正確性にスピード重視をぶつける)
  2. あえて一貫性に反するような、新しいパラダイムを体現する施策を、異物として仕組みの中に紛れ込ませてしまう。(例:新商品の提供プロセスに、既存商品にはなかったプロセスを導入してしまう。)
  3. 異物が定着するにつれて、矛盾を抱えた仕組みは不安定化してくる。その段階で、新しいパラダイムに合わせて共通化する方向でルール見直しを提唱し、全体を作り変えてしまう。

一気呵成に全体を変えてしまう方が手っ取り早いようにも見えるが、その分、相当な抵抗と、失敗のリスクを覚悟しなければならない。そこで、ルール全体を一度に相手にするのではなく、その一角に、いわば「蟻の一穴」を穿(うが)った上で、戦略的に全体を作り変えていくわけである。

なぜ「蟻の一穴」が有効なのか

一見、自作自演の姑息な手段のようにも見えるが、ちゃんとした合理性もある。このアプローチは、見方を変えれば、はじめに混入させた「異物」が組織の中できちんと機能するかをテストし、問題がないことを確認してから全体に展開するアプローチとも言えるからである。国の「構造改革特区」などにも通ずる発想であり、決して珍しい取り組みではない。「構造改革特区」と異なるのは、この取り組みは必ずしも当初から組織の公式活動へと昇格させなくてもよい点である。むしろ目立たせない方がよい場合すらある。非公式な活動を、いつの間にか公式化してしまうことに、このアプローチの妙がある。

ただし、一つ難がある。前述のように時間がかかることである。前段で述べたような、組織としての公式な見直しができるのであれば、その方が望ましい場合もある。

 

一見、鉄壁に見えるルールも、「蟻の一穴」を穿(うが)つことで、作り変えさせることが可能である

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業務改革がデスマーチプロジェクトに変わるとき

ソフトウェア開発に携わってきた方なら、「デスマーチプロジェクト」という言葉を聞いただけで、フラッシュバックを起こすような、悪夢のようなプロジェクトの1つや2つは、すぐに思い起こすことだろう。

デスマーチプロジェクトとは

デスマーチ(死の行進)プロジェクト」とは、ソフトウェア開発において、実現する見込みが薄いことが分かっていながら、過酷な労働状況の中、続けざるを得なくなってしまったプロジェクトである。この状況は多くの場合、要件定義、すなわち何を実現するのかを明確に決めないままプロジェクトをスタートさせてしまった結果、要件が膨張し、あるいは定まらずに変動し続け、結果として、常識的な作業量では達成できないほどの負荷がかかってしまうことによって発生する。

ひとたびデスマーチ・プロジェクトが発生すると、組織への損失は計り知れない。膨大な作業工数と投入資金、そして時間が無駄になる。未来ある何人ものSEが過労で倒れ、あるいは辞職し、組織はガタガタになる。発注者と受注者、さらに下請会社との間で責任の押し付け合いが起こり、業界内での評判は失墜する。その代償として得られるものは使いものにならないソフトウェアだけである。

業務改革でデスマーチ・プロジェクトは起こるのか

デスマーチ・プロジェクトは通常、ソフトウェア開発で発生する事象のことを指すが、実際には、それに類した状況は、製品開発、イベント開催、建築工事など、あらゆる分野のプロジェクトで起きている。では、ソフトウェア開発とセットで語られることの多い、業務改革ではどうか。結論からいえば、業務改革プロジェクトそれ自体がデスマーチ・プロジェクトになることは通常、ない。これは、業務改革そのものが、どのように業務を変えてゆくかを試行錯誤を通じて探求する取り組みである以上、成果物に関する約束が成り立ち難いからである。

ある程度、具体的な成果物を想定してスタートした場合でも、プロジェクトを通じてそれが実現不可能、あるいは効果が得られないことが分かれば、それ以上は続けようがなくなるし、そうした結果となった原因が特定されれば、それはそれで一つの成果となって組織の資産になる。

業務改革がデスマーチに変わるとき

ただし、これは業務改革単独のプロジェクトであった場合である。システムの構築と業務改革を一体的に進める場合が最も怖い。業務改革特有の成果の不確実性が、システム構築コストを大きく変動させるリスク要因になるからである。要件自体が固まらないのに、システム投資が発生する。まさにデスマーチプロジェクトに陥る典型的なパターンへと変貌する。こうした形でプロジェクトがなし崩し的にスタートし、頓挫するケースは少なくない。プロジェクト開始者による、業務改革とシステム構築への理解不足がもたらす罪である。

逆に、先に業務改革をしっかり行っていれば、システム投資のリスクは大幅に低減され、投資額そのものも抑制できる。一見非効率にも見えるが、業務改革とシステム投資は、別のプロジェクトとしてきっちり分けた方が、結果的には、プロジェクトの期間もコストも、手戻りがなくなる分、ほとんどの場合、有利になる。

業務改革プロジェクトには本来、大きなリスクはない。しかし、それをシステム投資と同時に行ってしまったとき、突如デスマーチプロジェクトへと変貌するリスクを背負うことになる。

決して、業務改革とシステム投資を同時に行ってはならない。

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バカだからこそ問題を解決できる

誰もが問題と思っているが、その実行に必要となる労力に尻込みして、手がつけられないまま放置されている…。そうした厄介な問題は、どの部門、部署にも一つや二つはあるものである。困ったことに、それを解決できる、優秀な人ほど、待ち受ける作業が予見できてしまうため、担当することに躊躇し、なんとか知恵を働かせて敬遠しようとするものである。こうした問題に取り組むことができるのは、ある意味「バカ」になって、その問題に飛び込むことができる者だけである。

"厄介な問題"では、個人差は出にくくなる

職場には、賢い人と、そうでない人がいる。ある課題があるとして、反射的に的確な解を導き出せてしまう賢い人がいる一方、四苦八苦した挙句、不完全な解しか出せない、あまり賢くない人もいる。個々の課題の解決能力には、それこそ雲泥の差がある。しかし、誰もが敬遠する"厄介な問題"においては、そう差がなくなる。なぜなら、頭を使う場面が少ないから、差が出にくくなるのである。代わりに使うことになるのは、多大な作業工数、地道な根回し、ストレスのかかる組織間調整である。これらは、賢い人であっても、そう省略できるものではない。

「バカ」にとって、"厄介な問題"こそが勝負の土俵

仕事で使う力を「脳力」と「労力」に分けて考えてみる。個々の課題で使う力の内訳は、「脳力:労力=9:1」といった按配である。これだと、「脳力」如何によって、生産性には10倍の差が出る。他方、誰もが嫌厭する大問題では、「脳力:労力=1:9」といった具合になり、「脳力」による差はずっと小さくなってくる。ゆえに、自分の賢さに自信がない人にとって、こうした課題こそ、賢い人と対等に渡り合える格好の土俵なのである。長年の懸案を解決すれば組織への貢献も大きい。誰もが課題の大変さを知っているから、評価される。チャレンジしない手はない。

「バカ」はどうやって"厄介な問題"に取り組めばよいか

では、どうやって、そうした課題に取り組めばよいのだろうか。割合は少ないとはいえ、「脳力」は必要だ。また、方針決定のときなど要の部分で「脳力」が不足すると、作業自体の方向を見誤ってしまう危険がある。これを防ぐ方法はたった一つしかない。賢い人に、「脳力」を使う、1割の部分を補ってもらうのである。賢い人であっても、1割程度(定例会議への参加、資料のレビューなど)であれば、そう参加に躊躇はしないものである。上長も、1割程度であれば、賢い人の時間を借りることを許してくれるだろう。これだけで、最大の欠陥は解決できてしまうのである。

「バカ」だからこそ組織を変えてゆける

賢い人の部分的な参加と上長の承認が得られる見通しが立ったら、あとは思い切って「バカ」になり、問題解決に飛び込んでみよう。覚悟を決め、汗を流し、諦めずに継続すれば、解決できない問題はないと言っていい。一途に課題に取り組み、苦しむ姿を見れば、同僚も陰日向になって気遣ったり、助けたりしてくれるだろう。ここぞという場面では、上長も虎の子の支援メンバーを投入してくれるだろう。自らがバカになり、一途に前に進むからこそ、周囲を動かし、課題を解決し、組織を変化させていけるのである。

"厄介な問題"に取り組むことで得られるもの

そうしてプロジェクトをモノにすれば、「バカ」だった業務改革リーダーにも、経験を通じて得られた知恵と、裏付けある自信がもたらす迫力が身についてくる。これは自分にとって、どんな仕事にも通じる、かけがえのない財産になる。プロジェクトの成果自体も確固たる実績となり、組織内での評価につながる。その結果、分不相応に昇進したとしても、賢い人の使い方をマスターしているから心配はない。もう一度いう。「バカ」にとって、こういう大問題に取り組まない手はない。

 

何もしない「バカ」は、組織の荷物でしかない。賢い人は手近な問題しか解決しようとしない。行動するバカこそが、組織を変えてゆくのである。

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